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革命の前夜

全てがKAT-TUNに帰結する

我書を捨つ、故に悲しみを抱くなり

題名は適当文語。全部発端は本を売る話。

 

本棚整理からの空想

本を手放そうとするとき、私は、「私のお家での役目は終えたから、あなたを必要としている未来の読者の元にお行きなさい〜私がまた読みたくなったら、きちんとお金を出してお家に引き取るからね〜元気でね〜」と思う。これは本心だけれど、たぶん、悲しみと罪悪感を消すための防衛でもある。本というのは、その1冊の情報のうち、ほんの少しかも知れないけれど確実に自分の身に浸透して一体化するものだから、本当なら全部ぜーんぶとっておきたい。だけど現実問題、一人暮らし、マンション住まい、かつ引越し予備軍の私には到底無理である。

本を手放す、つまり売る、というのはまあお小遣いにもなるとはいえ、だからこそ?、胸の張り裂けるような心持ちがする。精神的なものがお金という世俗的なものになるところが何とも言えませぬ。良し悪しでなく。でも、だから、古本屋さんって楽しいのかなあ…。たくさんのいろんな人がそれぞれ自分に染み込ませたあと、何らかの理由で手放したものが集まってるんだもんねえ…。ドラマって感じ。

いつも思うんだよねえ、今スマホとかパソコンとかでクラウドってあるけど、その言葉がなかった時から今までずっと、自分クラウドがあったのよねえって。つまり、人々の頭の中ではメディアとかお喋りとかから情報を吸収して、そこから自分だけの色とか形とか感触が違う思考たちがぷかぷか浮かんで、それを繋げたり離したりしたのを人と共有したり鍵かけたりしてきたのよねえ。すれ違い通信みたいなことは出来なくて、きちんと言葉にして、つまり文字にしたり声にしたり動きにして、お互いに共有しようとしなければ共有できないけど、でもそれでも街を歩いてるときに、「私がこうやって人を見ているように、あの人もこういうこと考えたりしてるのかなあ」って想像は出来る。私、しがち。古本屋さんでの空想とかこの想像は共有の要請が来たときの器作りなのかなあ。

ちなみに街を歩く人を見てるときのイメージとしては人の頭からほわほわほわって吹き出しの💭コレが出てるのを見る感じ。笑

 

古本屋さんのストーリー(ダブルミーニング) 〜デジタルを添えて

東京バンドワゴン』のどこかの巻の“事典をくり抜いてお宝を入れてたお祖父さんの話”に、「本をくり抜くなんて、君のお祖父さんの世代からしちゃあ、よっぽどのことだろうよ」みたいな台詞があった。物理的に紙が大事だとか自由に本が読めることのありがたさとかも勿論だけど、戦中戦後は今と比べて、知識や情報を伝える手段が少ないから、自分に取り入れる手段が少ないということで、でも人間はいつだって人間な訳だから、渇望していたんじゃないかなあ…だからそもそも書物という物自体の価値が高かったんだなあと思う。それプラス物質的な大事さと機会の大事さ、みたいな。

活字離れなんて言うけどさ、結局今スマホとかパソコンとかで知識や情報を得てはいるよね。同じことを違う媒体で出来るようになったって言う話なのでは。

私たちは紙からデジタルに移行したから、デジタルで入れようとしてもいまいち頭に入らん!とか思うけど、最初からデジタルのみなら違うんじゃないかなあ。どうなんだろう。よく分かんないけど笑 紙の本とは、頭の中での受け取り方のシステムを変えないといけないのかも。

…まあ私は紙の本が好きだけどね。笑

 

おまけ① 吹き出しで思い出した話

どうでもいいけど私の頭の中では基本的には小さい私3人が会議しながら私を操縦してて、考え事とか空想?するときとか、あとは何かすごいものを見たけどパッと言葉にできない時はもっと小さい私大勢を指揮しながらいろんな素材を使って形を作って、それが結果文章になっていく感じがする。

おまけ② パッと言葉に出来ないことを言葉にしてみる話

中丸雄一のアナザースカイを見て、なんかすごく色々受け取ったけれど、上手く感想が言えないというか、整理がつかないというか、自分の思考の発展に言葉が追いつかないみたいな気分になった。渦を巻く感じ?KAT-TUNのメンバーが出たテレビの後にはいつもTwitterでたくさんの感想を見かけるし、普段はそれを面白く拝見して気軽にリツイートするけど、この時はTLの濁流に自分が飲み込まれそうな感じだった。自分の思考を掴めていないから、他人の言葉に簡単に流されそうだった。自分の思いにしっくりくる言葉じゃないのに、似たような色や形や感触のものを目にしたら、「あっこれだ!」って思っちゃう感じ。いつもよりも、なんとなくリツイートしたあとで「ん〜?」って思ったり、正反対の内容のツイートをどっちも「よい!」とか思ってリツイートしたりすることが多かったような。自分基準で正しいかどうか(つまり自分の考えと方向が一致してるか)を見極めることも出来ないくらい頭の中が渦を巻いていた。TLも濁流で自分も渦を巻いてたの。そりゃ酔うわ。「影響される前に自分で何か言おう」と思って文章にしようとしても、「なんか違うような…モヤモヤそわそわイライラする…けど、どこの何がどう違うんだ?」って感じ。自分の考えがはっきりしていて、かつ誰かの考えを掴まえにいきたいときはよいけど、今回みたいなときは眺めるのも無理ね!笑

今まで何度もこういうことはあったけど、やっとこさその感覚を文字に出来た気がする。文字にしてみようと思ったのもこれが初だけど。そしてこれもぴったりしっくり言えてるか分からないけど。

 

 

以上、私の、一つのことを突き詰めるよりも蜘蛛の巣状に広まっていく思考、の記事でした!