革命の前夜

全てがKAT-TUNに帰結する

平和の鐘を打ち鳴らそう

さて。今回はすこーし真面目な話を。

8月9日ですねぇ。私は11時2分はバイトだったので、心の中でお祈りを捧げたわけですが。
いつも思うんだよね〜、おじいちゃんとかおばあちゃんが、生きててくれてよかったなあって。被爆3世なんですよ、わたし。まあ、父方の祖父母どっちかと母方の祖母はたまたま長崎市にいなかったので、4分の1かける2って感じなんだけれども。で、このタイプ(つまり戦争がらみ)の生きててくれてよかったなあ〜はわたしの孫には抱かせてはならない思いだなあと。

今から書くことは黙祷しましたとか平和についてのわたしの考えとかなんなそういうのというより、大学2年生の頃の問いに対する私なりの答えです。レポートみたいなもんです。だからまあ読まなくてもいいです、私が忘れないように書くだけです。

大学2年生のころ社会学の授業を取りました。そこでヒロシマナガサキの話になったわけです。広島出身や長崎出身の人が大学にわりかしいるんですが、大学で出来た友達が原爆関連のことを知らなすぎてびっくりしたという感想が出たんです。いや勿論きちんと(って言うのかな…)授業とか修学旅行とかで学んだ人もいると思うんですけど。そして、その“知らなすぎてびっくりした”に対する反論が、「平和学習において日付とか時刻とかにこだわることになんの意味があるのか?そういうことが過去にあったというのは知っているわけだし、細かい数字は置いといてそれぞれが平和に対する思いだとか核兵器やら戦争に対する考えを持っていればいいのでは?」というものでした。

うーんまあ言いたいことは分かるしそれはそうなんだけどーすっきり納得はできないなあー

と思いました。で、なんでかなーと考えたわけです。

結論から言いますと、その反論は現在だから成り立っているのだと思います。わたしは。

例えば自分の身に降りかかった悲しいこととかむかついたこととかは、日付を忘れたとしても、思い出して悲しかったなーむかついたなーと思えます。もっと言えば自分が思い出そうとしなくても、ふいに、“あ、そーいえばそんなことがあった。”って思い出されることがあると思います。

しかし戦争を私たちは経験していない。つまりそれは、ふいにその出来事やそれを知った時の感情が思い出されるという現象が、自分が実際に経験したことが思い出されるよりも、圧倒的に少ないと予想されるということ。結局、知らなければ思い出せないわけよ。知っていても思い出せないことは、それはつまり忘れてるわけよ。(みんな自分のテストを振り返ってみるといいさ!)

みんなが語呂合わせをして年号を覚えたように(わたしはこの覚え方好きじゃないけど笑)、ずーざらずーざり…ってひたすら唱えて覚えたように、この日付や時刻をとりあえずまあ覚えておくと、その日になると思い出すわけよ。今はね、分かるよ。原爆の投下ってだけで、1945年の8月6日と9日に広島と長崎だ!ってね。教科書で習うしね。被爆された方もまだ生きてらっしゃるし、話を聞いたりできるし。でもさっきの反論通りに原爆が投下されましたー!という事実だけ学ぶと、あと何十年かしたら、ただの文字になると思う。歴史の年表みたいな。それは怖いことだと思う。恐れを知らない子供がなんでも出来るように、知らないということは人を突き動かすスイッチになると思う。日付を知っていれば、1年に1回は思いを馳せられる。毎年更新される。

忘れてしまったら思い出すのは大変だと思う。忘れたことに対して祈ることも、忘れた出来事に対する考えを持つことも、たぶんすごく難しいと思うの。
だって忘れてるんだもん。わたし忘れた出来事に思い馳せられないもん。忘れたということに対しては考えられるだろうけど、忘れた出来事そのものに対しての話。

そして、思い出す思い出す言ってるけど、“何を”って言うと、“核兵器が使用された”ってことなわけよ。黙祷をする時に原爆で亡くなった人や時代を問わず全世界の戦没者に対する冥福を祈る気持ちはあるよ、でも私たちが日付とかを頼りにずっと伝えようとしているのは、世界で初めて核兵器が落とされた国だという事実であり、ここを最後にしなければならないという使命だと思うのです。

だから私は授業でなされた反論には納得できないし、平和学習はするべきだと思う。その数字を頼りに1年ごとに事実を確認して使命を思い出せるから。考えられるから。こういうことを学ぶのはあなたが戦争や平和に対して考えを抱くきっかけになりうるからだと思うのです。

これはあくまで私の考えです。あなたがこれに納得できないこともあると思う。でもわたしはこれに納得してるし、これは正しい答えがあるものでもないと思うから、あなたの考えはあなたの中にしまっておいてくださいな。ってブログ更新してシェアまでしている私が言うのであった。